NEW ARRIVALS – MARIA RUDMAN Mariaさんとの思い出(前編)

今年の冬も、MARIA RUDMANのCLASSIC COLLECTIONとSILVER COLLECTIONがBORDEAUXに届きました。

BORDEAUXでMariaさんのアクセサリーを取り扱わせてもらうようになって、10年以上が経ちます。

今回は、MARIA RUDMANの作品を初めて見た時のこと、Mariaさん自身に会った時のことなどについて、色々と振り返ってみたいと思います。

MARIA RUDMANの作品を初めて見た時のこと

オーナー久永が初めて購入したMARIA RUDMANの作品。
MARIA RUDMANの作品を初めて見たのは、2010年ぐらいのこと。初めてのパリ買い付けから10年ほどが経って、あの街にもすっかり慣れた頃。

誰もが「パリで一番」と言うセレクトショップに行くと、そこの店長さんがRick owens、Carol Christian Poellのノースリーブのドレスを着て、手首からずらりとレザーのブレスレットをつけていました。

ブレスレットの数は3つや4つではなく、少なくとも肘の上くらいまではつけていました。そのブレスレットが、MARIA RUDMANの「Duodje(ドゥオッチ)」(北欧の少数民族サーミ人の伝統的なレザーと錫(すず)のブレスレット)でした。

それが、あまりにも素敵だった。衝撃的な出会いでした。

店長さんに話しかけて、MARIA RUDMANのことを詳しく聞きました。すると「北欧の少数民族のサーミ人が作っている、トナカイレザーのブレスレットだよ」と教えてくれました。

彼女の話を聞いた時点で、「絶対にこのブランドを取り扱いたい」と思いました。

というのも、私は若い頃から世界を旅すること、色々な民族の文化に触れたり、身につけたりすることが大好きだからです。

旅の中で出会う人たちを見ると、みんなファッションのどこかに自分のアイデンティティを取り入れているものです。私の場合は、トライバルなものを身につけることが、今も昔も自分の表現だと思っています。

オーナー久永の私物。もともとはTANカラー(淡い茶色)でしたが、経年変化により深い茶色に。
ただ、当時お店をしていたのはアメリカ村のど真ん中。住んでいる場所も都会だったし、全身をトライバルなファッションにするのは感覚的にしっくりこなかった。「都会的な洋服に、手作り感のあるアクセサリー」くらいのバランスがちょうどよかった。

だからMARIA RUDMANに出会って、どうしても取り扱いたいと思いました。店長さんにその気持ちを伝えると、「じゃあMariaさんのショールームを紹介してあげるね」と言って、アポイントをとってくれました。

今はInstagramやホームページから直接問い合わせるショップも多いので、もしかしたら、他のお店の紹介でアポイントをとる、ということを意外に思う人もいるかもしれません。

でも当時のパリでは、飛び込みでの商談はあまり歓迎されておらず、基本は紹介を通じてしかアポイントがとれませんでした。そもそもホームページがないブランドも多くて、自分で調べただけではショールームの場所もわからないような時代です。

「モデム」という、バイヤーやファッション業界人向けのタウンページみたいなものがあって、有名なブランドはそこに情報を載せていました。でも当時のパリでMARIA RUDMANの取扱店はそのお店だけでしたから、モデムにも情報はありません。

だから私も、そのお店の店長さんに紹介してもらったのです。アポイントは3ヶ月後。次のパリ買い付けのタイミングでした。

Mariaさんと初めて会った時のことや、私が考えるMARIA RUDMANの魅力については、後編で書いていこうと思います。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。(後編はこちらから

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